岩下石刎(いわしたいしはね)遺跡

緑川の治水のために、慶長10(1605)年頃、加藤清正によって築かれたと考えられる三つの石刎(いしはね)です。江戸時代に作られた絵図にも描かれ、地元では「一の刎」「二の刎」「三の刎」と言い伝えられています。絵図によると、「一の刎」116間(約211m)、「二の刎」68間(約124m)、「三の刎」159間(約286m)、総延長343間(約624m)の不連続の石垣堤防と、石垣の川裏に遊水地をそなえた「轡塘(くつわども)」などによって、洪水の際には、たくみに水の勢いを弱める構造になっています。
石刎は、平成15年11月、国土交通省の築堤・樋管工事中に発見され、「二の刎」後端部では、「算木積(さんぎづみ)」「ヤセ角(すみ)」の技法で積まれた江戸初期の石垣や、全国でも数例の朱書きの文字が記された石材など、貴重な遺構が確認されました。
現在の樋門周辺の石垣は、工事後に築かれたものですが、上下流側には石刎の一部が残り、見ることができます。一連の遺構は、江戸初期の治水・土木工事の技術や、緑川流域の歴史を解明する重要な史料となっています。

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