福城寺

亀甲山福城寺は天台宗総本山比叡山延暦寺の末寺で、海抜753mの山容急峻な山腹に位置し、遠く嵯峨天皇の御代、弘仁2年(810)頃、五穀豊穣及び天下安穏を祈願し再興されたと伝えられています。本堂は、明治22年から昭和30年頃の建築物ですが、木造の伝統的な工法で造られ、平安時代と鎌倉時代の作に推定される仏像2体を保管する建築物です。木像伝十一面観音菩薩立像本像(像高103.3cm、榧材(かやざい)の一木造。頭部に化仏を差し、右手は与願印を表し、左手は蓮差しの花瓶を持ち、衣文は「翻波式(ほんぱしき)」の表現がみられます。平安時代(9世紀)の作と推定されています。)釈迦如来立像(高さ1メートルくらい。檜木の寄木作り金粉で彩色蒔繪の紋様がみられます。顔には、円満な表情をたたえ、右手を屈し左手を垂れ、容姿優美、衣紋流麗雄優雅、鎌倉時代初期の作で、仏師快慶派の作、寺伝には恵信僧都の作と云われています。)が安置されています。この境内にある、銀杏の木(幹回り11m、樹齢800~1,000年と推定)及び槙の木(根周り4m、高さ約20m、樹齢不明、渦巻状の幹が見事)は町の天然記念物に指定されています。また、福城寺境内の堂内に安置されている木像の馬頭観音像は、頭上に馬頭をいただき、憤怒の相をしています。牛馬安全の守護仏として広く信仰をあつめており、毎年1月18日は、夜明け前から、多くの畜産家が参詣していました。

住所甲佐平

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