風呂橋

江戸後期、萱野村(現大字萱野)の干害対策のため、中山手永第11代惣庄屋・内田太右衛門(1810~1820年在勤)により文政二(1819)年、瀬戸山方面から権現山を廻り約1500間(約3km)の用水路が開さくされました。
その後、水漏れがひどくなり、明治40(1907)から、貫井手(用水トンネル)の開さくを始め、同42(1909)年7月に完成しました。
貫井手は約160m、風呂橋(水路橋)の長さは10mです。
風呂橋は、町指定文化財であり、県のふるさと水と土ふれあい事業により復元されました。

住所美里町中郡

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